HOME>業界人のお話>第21回 加藤 勇夫 H21.4.13
業界人のお話


第21回 加藤 勇夫さん

加藤工芸株式会社 取締役会長


  今回の語り部、加藤勇夫さんは1930年生まれ。タキヒョー系列の繊維問屋に入社し、貿易部で陶器の輸出に携わって以来、ノベルティに魅せられ、現在も加藤工芸株式会社の経営者として現役でノベルティの製造・販売を続けてみえる方です。ノベルティについて、また、ご自身の苦労話などを語っていただきました。


ノベルティに出会って60年

―――・・・戦前、戦中、戦後と、厳しい時代を経験 
  私は昭和5年、繊維問屋の三男坊として生まれ、今年で79歳になります。戦前、戦中、戦後と、日本で一番厳しい時代に生活し、いろいろな経験をしてきました。空襲で家を焼かれて、逃げたこともあります。終戦後は、南区柴田の家に移り、兄たちが商売を始めようとした時に、今度は伊勢湾台風の被害にあい、火と水の両方の災害を経験しました。

―――・ ・・ノベルティとの運命の出会い
  なんとか親父の商売をやりたいと思っていたので、学校を出てすぐに名古屋のタキヒョー系列の繊維問屋に丁稚奉公に入りました。当時は自転車にリヤカーをつけて商品を運んでいたことが記憶に残っています。その後、昭和24年に貿易が再開されると、「お前は学校を出たばかりで英語ができるだろうから貿易部に入れ」ということで、貿易部に配属され、陶器輸出の事業に携わったわけです。その時、初めて瀬戸にまいりまして、いろいろなノベルティの見本を集めて海外に輸出する仕事を体験しました。それが、私とノベルティとの最初の出会いですね。それ以来、ノベルティが大好きになりました。

―――・・・輸出品の花形だったノベルティ人形
  ノベルティというのは、今は記念品や景品という意味合いが強いのですが、本来は珍しい物、装飾品のことを指します。日本全国でもノベルティが作れるのは瀬戸しかなく、戦後は花形の輸出品でした。デザインから絵付け、加工、焼成と、すべて手作業で人件費が安いため、輸出に向いていたのです。日本人の感性の高さも海外に受け入れられていたと感じます。動物や人形などのノベルティを昭和24年から今日まで、いろいろな工場で作ってもらって販売してきました。ノベルティに出会って今年で60年になりますが、32歳の時に独立。その後、加藤工芸を興し、会長となった今でも楽しんでデザインや創作を行っています。ノベルティのことを知っている中では、私が一番年長でしょうね。

―――・ ・・ペーパーマッシュの人形もアメリカに輸出
  ノベルティが作れるのは瀬戸だけというのは、瀬戸は日本で一番大きい陶磁器の産地であり、手で陶土を折りこんで作る技術があったからです。その他、和・洋食器、碍子、衛生陶器、タイルなど、あらゆる焼き物が瀬戸で作られました。ペーパーマッシュの人形もありましたね。ペーパーマッシュとは、和紙をほぐして糊と土で様々な形に加工し、乾燥させて型をとったもの。ダルマもそうですが、中は空洞です。それに絵の具で彩色をします。当時はペーパーマッシュ専用の土を作るところがあって同じ型を使って大量生産し、アメリカに輸出をしていました。焼かないから時間もかからず、安くできました。少し離れて見ると陶器と区別がつかなかったですね。

 
ノベルティ技術の継承について

―――・ ・・ノベルティ専門の会社を経営
  現在、私の会社ではノベルティだけを扱っていまして、仕入れの1割は瀬戸。あとはすべて海外。それも日本と中国のジョイントベンチャー工場で生産をしています。そして、それらの99%を日本国内で販売しています。10年前までは輸出が6割、国内販売が4割でしたから、かなり変わりましたね。もともと日本人は、世界一品質の良いものを要求する国民ですから、アメリカに輸出していたノベルティも非常にいい品がありました。現在、海外で生産していて問題の原因になるのは、そうした国民性の違いから起こることが多いですね。
 
―――・ ・・ディズニーのキャラクターで原型づくり
  これは弊社の今年のカタログですが、すべて弊社のオリジナルデザインによるものばかりです。たとえば、ディズニーのキャラクターですと、まずキャラクターの権利を取り、ディズニーの許可を得て原型を自社で作成。その型を海外に持っていき、生産しています。なぜこういうスタイルをとっているかというと、新しい型を持っていって中国で生産すると、コピー品がすぐに出てきます。訴訟するにしても日本企業では難しいのですが、海外のキャラクターですと、版権元が訴訟をやってくれるので、その手間がかかりません。そういうわけで有名なキャラクターをやっております。

―――・・・もう一度、日本でノベルティ商品を
  うちは社内に原型師が4人おります。今や瀬戸でも自分の会社に原型師を置いてやっているところはないのですが、そのくらい、ノベルティに対して私が情熱を燃やしているということがわかっていただけると思います。現在は、原型を作れば、中国ですと一週間で生産できるようになりました。しかし、私の夢はもう一度日本でノベルティ商品を作ることです。それを実現したい。これだけ精巧なものを作れるのは世界でも少ないですから、ノベルティの技術をなんとか継承しなければという思いを強くしています。
  
―――・ ・・彫塑師や原型師の腕が光る全盛期
  現在のノベルティも、手で作ったのと同じ工程を経て、手間 をかけて作られています。石膏の型には空気抜きの穴がありますが、ノベルティの人形を作る時は、手や足など5つも6つもつけます。それから仕上げて乾燥させ、手で絵付けをしていきます。犬などの動物の鼻には、つや出し絵の具を使って光らせます。ノベルティは、彫塑師や原型師の腕によって出来が変わってきますね。ノベルティ全盛期の頃に最高の技術で作られた人形のいくつかを陶磁器会館にも寄付しましたので、ここに来ればショーケースに飾られているのを見ることができますよ。

[名古屋陶磁器会展示 寄贈されたノベルティ]


―――・ ・・求められているのは、癒しの商品
  また、焼き物の犬などはレジンでも作ります。レジンというものは樹脂素材で、型はシリコンです。うちでは3日で作ることができます。ただ、日本の市場というのは中間のものはあまり売れません。最高のものが要求されます。お客さんも変わってきており、大きな陶器やノベルティも求められなくなってきています。居住空間も狭いですから、ノベルティはなるべく小さくて、良くできていて、嵩のないものがいいようです。今、求められているのは癒しの商品ですね。動物やキャラクターの顔を見ていると癒される。なるべく年齢層を上げられるものが求められています。
[名古屋陶磁器会館展示室 寄贈されたノベルティ]

―――・ ・・ノベルティは"型"が一番大事
  私は、技術の継承は必ずしも日本で継承しなくても良いのではないかとも考えています。たとえ中国で作ったとしても、瀬戸でまたできるようになればいいのですから。それを息子に言って、いま試しているところです。ただ、ノベルティというのは、デザインを描く人、それから"型"というのが一番大事ですから、型屋さんの技術も同時に継承していかなくてはならないと思います。瀬戸には良い設備も残っていますし、なんとか先人たちの技術を継承していただき、「もう一度よみがえれ、瀬戸」ということでやっていただきたいですね。
  
  
収集したノベルティを寄付

―――・・・瀬戸蔵での「加藤工芸と瀬戸のノベルティ展」
  量産品では、昭和30年代に一番いいものができていました。それ以降になると人手が足らなくなってきて、いいものを作るのが難しくなりました。大量生産ではなく、分業方式にすれば、瀬戸は生き残れると思います。昨年7月に瀬戸にある瀬戸蔵で「加藤工芸と瀬戸のノベルティ展」というのをやっていただきました。1500点のうち弊社のノベルティ商品は80点ぐらいしか展示されませんでしたが、いろいろな方に言われたのが「こんなにいいものが瀬戸でできるのにどうしてやらないのか。どこでも地場産業があって、伝統技術でやっているではないか」ということでした。そこで私が言いたいのが「瀬戸の陶器屋が一流企業と同じくらいの給料を出せば、こんな夢のある楽しい仕事はないのではないか」「それだけの給料を出すだけの値段で売ればいいのではないか」ということです。
[加藤工芸とセト・ノベルティ展
ポストカード]
[中日新聞記事(2008/5/25)]


―――・ ・・瀬戸蔵と愛知県陶磁器資料館にノベルティを寄付
  また、私はこの60年間にわたり、思い入れのあるノベルティを収集してきましたが、ある人から「お世話になった瀬戸の陶磁器美術館にノベルティを寄付したらどうか」という話が来ました。そこで、瀬戸蔵に集めてきたノベルティ約1500点を寄付し、愛知県陶磁器資料館にも約500点寄付いたしました。ノベルティを末永く皆さんに見ていただき、"瀬戸の人は苦労してこんなにいいものを作っていたんだ"という歴史をぜひ伝えていただきたいですね。

―――・・・誇りにできるメイドインジャパン
  思えば60年前に貿易再開になった時は、メイドインジャパンというのは"安かろう、悪かろう"の代名詞でした。今ではジャパンの名が付いていれば、世界中どこにでも胸を張っていける代名詞になってきております。弊社の中国製商品をメイドインジャパンに貼り替えて欲しいという商社も出てきているほどです。ですから、メイドインジャパンと言って正々堂々と出せるものづくりを、これからの若い人がなんとかできる方法をみつけていくことも大切だと思いますね。

―――・ ・・様々なノベルティ人形を作っています
  私の会社では国内のお客さんにうちの原型師を見せて、「うちは、この技術で売ります」と言っています。瀬戸のノベルティデザインというのは、だいたいアメリカ人やイギリス人が持ってきたマイセンやドレスデンなど、海外の有名な人形です。"これを作れ"というわけで、そういったノベルティしか瀬戸では作りませんでした。うちの場合は、我々が起こしたオリジナルのデザインを上手に作るメーカーに持っていき、生産を委託していました。ですから、うちには陶器もあれば、磁器、半磁器など、様々なノベルティ人形があります。それが個性でもあり、強みですね。

―――・ ・・つねに新しいノベルティ商品を作る
  今、新事業として、プリザーブドフラワー陶器の販売を考えています。プリザーブドフラワーの製造元と業務提携して、アレンジする容器をうちで作る。現在は、百貨店だけを相手にしてもやっていけないので、専門店向けに売っていかなければいけません。うちの場合、売上の5割はOEMで、いろんなところのものを作っています。そのうち4分の1は無店舗販売です。非常に厳しい商売で苦労もありますが、今後もノベルティ専門会社として、つねに新しいものを丁寧に作っていきたいと思っています。

*加藤工芸さんのHPをご紹介します。
  http://www.katokogei.co.jp/