―――・ ・・瀬栄陶器に入社したきっかけは?
父が瀬栄陶器で働いていたので瀬栄に入社することになりました。父はノリタケで働いていましたが、芳野町に瀬栄陶器ができたとき、スカウトされて瀬栄に移りました。技術が漏れないように、信用のある親の息子を入社させたいということで、私のように親子で働いている人は多かったです。
―――・ ・・・見本場で絵付けを覚え、何でもできるようになりました。
瀬栄陶器の見本場に入社し、始めは先発見本のコピーの仕事をして絵付けを覚えました。その頃はノベルティが多かったです。会社が大きいので絵付け部門ではいろいろの絵付けをしていました。手描き、吹付け、金線仕上げ、金筋、転写貼り、ニス貼り、水貼り、ゴム印での金、銀、絵具のスタンプ、ラスター塗り、金盛りなどなど多種多様でしたので自由に会得体験させて貰って、何でも出来るようになるまで10年ぐらいかかりました。
社長(水野保一)は毎日の出社時、事務所に行く前に必ず見本室に来ては、何か新しいものが開発されていないかと楽しみに入ってきたものでした。何もないと社長がさびしそうな顔をされるので、社長の期待に応えようとスタッフ一同頭を悩ましたものでした。
―――・ ・・いろいろな事に遭遇し
体験・経験・研究した見本作りの会社勤め
その後、仕事は輸出向けディナーセット、内地向け食器の元見本作りがメインでした。色々な技法を駆使して10吋肉皿に手描きで描いて商品見本を作り、バイヤーに見せてOKになれば工場生産になりますが、先ず意匠センター〔注1〕に意匠登録して模倣品・類似品でないか調べます。意匠センターでOKが出れば生産に掛かります。ディナーセットは主に転写貼り金筋仕上げなどをコンベヤーで流して生産していました。 転写印刷は外注でやっていましたが、後には社内でスクリーン印刷を刷るようになりました。転写の原稿などもよく描いていました。自分で製判、手刷りで見本用の転写を作りました。食器の使用中に絵具から出る鉛・カドミが人体に有害であるということで、無鉛絵具・耐酸絵具を使用する事になりますが艶が稍劣りました。新製品出荷に対しては製品を試験場〔注2〕 に持参して耐酸テストを受け合格証を得ないと出荷できませんでした。
陶器絵付けについて書き出せばキリがない程あります。いろいろな事に遭遇し体験・経験・研究した見本作りの会社勤めでありました。辛いことも楽しいことも今は良き思い出であります。
―――・・・ブッツケ本番で絵を描きました
昭和58年(1983)6月に技能テスト、8月に学科テストを受験しました。受験資格は経験15年以上が1級、8年以上が2級で年1回実施されました。
私の場合は技能テストが6月の梅雨時でした。会場は瀬戸の窯業訓練校で行なわれ生憎の雨天でした。連日の雨で湿気が多く、油溶きの絵具は湿気を帯びてフカフカして粘りがなく非常に使いにくい状態でかなり苦戦しました。他の受験者も同じ条件なので仕方がありません。受験者は15人ぐらいだったと思います。花瓶に絵付けをするテストで、絵付け方法は自由でしたので、私は油彩色を選びました。テーマは牡丹の花で、指定の花瓶に(事前に寸法と形状が発表されていました)時間内に完成することです。審査員は4人で業界の関係者で顔見知りの方が一人おられたので少しやりにくかった覚えがあります。テストは厳しくスケッチ・写真・本など資料の持ち込みは禁止でした。何も見るものはなく、頭の中の記憶だけでブッツケ本番で絵を描きました。トイレには係員が付き添い、昼食時間は試験場には入室禁止でした。大体時間内に完成したのですが、焼き物なので焼成してからの結果発表となり、完成品は公表されませんでした。
―――・・・合格証書と金バッチを労働大臣から貰いました
実地テストの合格者が8月、大同工業大学で学科テストを受けました。真夏で教室にはその頃エアコンもなく、暑くて汗をかきかき受験しました。絵付け部の受験者は3人ぐらいで他の職種の受験者も同じ教室で行ないました。答案用紙が違うので隣を見てもカンニングは出来ませんでした。お蔭様で合格証書と金バッチを労働大臣から貰いましたが、社会的には何のメリットもありません。(1級が金バッチ・2級が銀バッチ)。
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一級技能検定合格証書 (昭和58年10月) |
―――・・・「金腐らし唐獅子牡丹絵」花瓶」
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金腐らし「唐獅子牡丹絵」花瓶は、半年ぐらい前から構想を練り制作に掛かる、数種の絵付けテクニックを駆使した私の一生一代の逸品であります。主に、休日や夜間、勤めの合間に自宅で制作し、作品が大きいので苦労しました。特に金腐らしの部分は大変苦労しました。焼成は数回行い、作品が大きいだけに電気窯の焼成には焙り、冷まし温度設定に気を遣いました。私の作品の中で納得のゆく作品です。 |
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金腐らし唐獅子牡丹絵
(昭和50年) |
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―――・・・15吋額皿「金腐らし千羽鶴松竹梅」
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15吋額皿もこれに次ぐ作品です。 作品は、制作当時を想い出すのによいものですが、家に置いて粗相して欠けたり割れたりしては何の価値もありませんので、家族と相談し陶磁器会館に寄贈して置いて頂ければとお願いしましたら、快く承諾してくだされ、私の分身のような宝物を手放すことは、いささか心淋しいですが、皆様に見ていただければ幸甚です。
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金腐らし千羽鶴松竹梅
(昭和51年) |
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―――・・・弗化水素を用いた「金腐らし」
金腐らしとは、目的の部分をアスファルトを油で溶いたものやパラフィンなどで素描します。そして弗化水素水をかけて作用させると、描いていない部分は釉薬が侵されて凹む、アスファルトなどを洗い落とし、金を塗って焼くと、腐食されたところは凹んで艶がなく、他のところ光沢があって豪華な模様になります。高級絵付けの一種です。 |
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[金腐らし唐獅子牡丹絵]一部 |
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花瓶の場合は加工する面が球状なので弗化水素が垂れ流れるので作業がしにくいのです。皿の場合は水平面なのでやり易いです。
弗化水素を扱う作業は極めて危険であり、マスク、ゴム手袋あればゴム前掛けをして風通しの良い部屋または屋外で慎重に行なわなければなりません。
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