第5回 杉本 吉男さん
元(財)日本陶磁器検査協会検査員
メーカーを廻り、
陶磁器の検査を続けた日々
「安かろう、悪かろう」
のイメージがついてまわった日本製品の品質向上をめざして、戦後、輸出向け陶磁器に関し、
昭和25年10月業界の総意のもと、日本陶磁器検査株式会社を設立、自主検査を進めてきた。昭和32年5月公益法人として、
認可を得て、同年6月輸出検査法の施行に伴い政府の指定機関として、
陶磁器(指定品目)の品質検査の他、耐久、耐熱、吸水等の物理試験を行ってきた。 |
同時に各種工業製品の検査協会(機械製品、軽工業品、繊維製品、農水産物、医療器具関係の30品目以上が指定品目)が
輸出貿易の健全なる発展に寄与することを使命として設立された。 昭和45年頃から、人体に影響を及ぼす重金属溶出(鉛、カドミウム)問題が発生した。
これは陶磁器に施す上絵付(転写、吹き、手描き)のものから主に溶出され、業界を挙げて、
その対策に試行錯誤し、当協会としても、各検査所に原子吸光分析装置を設置し、その対策に協力を図った。
平成7年規制緩和により輸出検査法が廃案となり歴史を閉じた。 |
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今回は、検査協会設立当初から30年以上、全国のメーカーを廻り、検査業務にあたられ、三重検査所長、南九州検査所長を経験され、名古屋にも在籍された杉本吉男さんにお話をうかがった。 |
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「カケ、キレ、カンニュウ」など 検査欠点項目は30以上ありました。 |
――― お仕事の内容を教えてください。 昭和32年、輸出検査法という法律ができ、検査に合格して輸出検査証明書がないと、
船積みができないということになりました。各メーカーは、組合を通じて(*)
輸出検査申請書を提出し、協会から検査員がメーカーまで出向いて出荷前の製品の検査を行ったのです。検査に合格すると製品が商品に変わるのです。すなわち、未検査品はそのままでは売れないから商品ではないのです。
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所属組合を通じて申請が行われたのは、組合が金液や重油のもどし税の申告や輸出品の数量の調整事業を行っていたため。
――― 具体的には、どんな風に検査をされていたのですか? 各メーカーの工場や倉庫まで出張し、外観検査を行います。ロット単位で検査を行いますが、1ロットは、100〜200カートン(梱包数)とか、そんなものですが。( 例 1カートン 入数 6打×100カートン 総数量 600打 ) 資料の抜取りは、輸出検査基準に基づき、無作為に行うものとし、層化比例抽出法を用います。
まず、梱包数100カートンであれば、5カートン以上から規定の抜取数を抽出し、合不を判定します。 昭和60年に省令の改正により、検査基準の合理化が図られ、調整型抜取検査方式が採用されることとなりました。受検工場ごとに3カ月間の検査成績を基に「基本」、「ナミ」、「ユルイ」と3段階に区分して、検査抜取数に巾が設けられました。「ユルイ」つまり、優秀な工場だと、検査抜取数が「基本」に比べて、ロットを形成する個数10,000以上で50個と約半分で済みます。抜き取った製品を一つ一つチェックして、不良品が無いかどうか調べます。 その際に、意匠の模倣を防ぐために、日本陶磁器意匠センターへの協力事業として、意匠確認業務なども行っていました。 合格すると、輸出検査合格証明書とラベル(*)をカートン数に応じて渡し、メーカーは合格ラベルを各カートンに貼って、出荷、保税倉庫へ搬入、船積みとなります。
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――― どんな製品が、不合格とされていたのですか? 重欠点とされたのは、「カケ」、「キレ」、「カンニュウ」。「カケ」は文字通り、どこかが欠けている。「キレ」は、素地の亀裂、「カンニュウ」というのは、素地と釉薬の収縮率の違いなどにより、一面にひびが入ったように見えること。 軽欠点と言われたのは、生地に関することだと、薬むら、ひずみ、ボロ、色ボツ。
絵付けに関しては、色むら、剥げ、ズレ、焼成不良など。それぞれが確か、十数項目ありましたね。 当初は、重欠点と軽欠点と区分して、判定をしていましたが、後に調整型方式に変更して、すべての欠点を合算して基本検査では、抜取数100個について、素地、絵付け各々不良品が11個以上摘出されると不合格になります。 また、特殊項目として箱に寸法が記載してある物は、それもチェツクする。プラス3パーセントまではOK。
マイナスは0パーセント。つまり、少しでも記載されている寸法より小さいと、不合格ですね。 それと、「セットものの不揃い」というのがあって、例えば洋食器のセットものの中に違う系統の絵柄の製品が
入っている場合など、それが1セットでもあればロット全体が不合格となります。
――― 不合格率は、どのくらいだったのでしょう? 数パーセント。5から8パーセントくらいはあったのではないかと思います。年々、品質が良くなり不合格率も下がっていきましたが。
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心を鬼にしても、 判断しなければならない場合もあった。 |
――― 毎日が現場に出かける日々なのですね? 名古屋の場合、小牧や春日井、枇杷島も合わせてメーカーが100社くらいあったでしょうか。
検査員が十数名。忙しい時期で一日10社くらい、平均すると7〜8社を朝の9時から午後3時頃まで廻り、帰ってくると個人日報を作成し、検査結果を各社分まとめて、といった業務をしていました。精算をしたりね。
検査手数料を現金で払っていただくこともありましたから。 自動車が入る前は自転車かスクーターで、どこへでも行ったものです。春日井辺りは、まだまだ砂利道も多くて、雨なんか降ると、どろんこになるし、でこぼこ道でね。犬が直前を横ぎり急ブレーキをかけたら、スクーターで転んだこともありました。(笑)。。。
――― 印象的だったことなど、ありましたら・・・。 ある一般食器のメーカーさんでしたが、年末にどうしても今年中に納品しなくてはというので、無理に焼いたら焼成不良で色が出ていなくて、不合格にせざるをえなかったんですね。しかし、時間が無くて焼き直しはできない。船積みができないと商社からお金が入らなくて、従業員に給料も払えないわけです。こちらとしても事情がわかるだけに、本当に辛いのですが、心を鬼にしても判断をしなければいけない場合もありました。 向こう(海外)で不良品だということになり、クレームがきたら1メーカーだけでなく、日本全体の信用に関わってきますからね。
――― 検査される方も、生活がかかっていますものね。 そうですね。どうしても窯に入れる位置等によって、焼きの「あまい」ものなんかが出てくる、船積の日時がせまり、不良品が多く出て数量が足りなくなると、数量を優先確保する為に不良品混入ということもあり、それを受検貨物の積んである中でも一番下の方のカートンに入れておくんです。それで、僕らが行くと、一番上に積んである良品のカートンを、メーカーの立会人の方からどんどん開け始める。それを阻止して、こちらで抜取るカートンを指定すると一瞬気まずい空気が流れます。(笑)
例えば、100カートンが縦に5段、横に20列積んであったとしますね。
本当なら、ランダムに抜取るのが一番いいのですが、それでは向こうも大変なので、5カートンなら5カートン、横ではなくて、縦に抜いた方が下の方の目的のカートンを取り出すのに軽負担ですみます。
検査員によっても違いましたが・・・。ただし、そのやり方ばかり続けていると癖を見抜かれる。化かし合いのようなところもありましたね。(笑)
もっとも、ノリタケカンパニーや鳴海製陶のような優良メーカーは、自社内で検査基準以上の厳しい検品を
していましたから、気が楽でしたが。
――― 長年検査員を務められて、いかがでしたか? 因みに、名古屋地区は、大手を除いて、絵付加工業者が多く、それぞれに絵付技法を競っていました。転写・デコ盛・百老・ダミ込み・赤銅版・吹き・ラスター等、多種多様で、目新しい商品が多く絵付技術が急速に進歩してきたと思います。 近年、陶磁器業界が急速に衰退し、これらの技術が無くなってゆくことは残念ですね。
僕自身は、性格上けっこう合っていたと思います。いい加減なことが嫌いだし。健康上も、一日5時間くらいは外の空気を吸ったり、歩いたり。デスクワークばかりではないから、バランスが良かったかなあ、と思いました。それに、多くのメーカーの社長さんや番頭さんとお話しすることで、世間のいろんな情勢を知ることもできましたしね。それは勉強になりました。
いろいろな地域で多くの人との出会いがあり、有意義な仕事であったと思います。
平成7年、60歳で引退。
「正しい仕事は人間の生命に奉仕する仕事だ」とは、 杉本さんの座右の銘。持参してくださった、
びっしりと下線や書き込みがされた検査基準手引き書の裏表紙に、その言葉はあった。
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