名古屋陶業の歴史
復興、そして衰退へ

第2次世界大戦という悲惨な事態によって、名古屋の陶磁器業はいったんその機能を失ってしまいますが、戦後は再び甦っていきます。
名古屋陶磁器会館のギャラリーには、裏に「MADE IN OCCUPIED JAPAN」(占領下の日本製)という文字が記されている製品がいくつかあります。これは第2次世界大戦の敗戦によって主権を失った日本が、昭和20年から昭和27年まで、連合国の統治による占領下の時代であったことを示すものです。しかし、その時代でも製品をつくって海外へ輸出しようとして、多くの人たちが汗を流していたことは記憶にとどめておくべきでしょう。そして本格的に貿易が再開されると、名古屋の陶磁器業は力強さを増し、日本の高度成長とともに輸出額は飛躍的に伸びていくことになります。
名古屋港の輸出上位を見てみると、名古屋港開港から昭和40年ころまで陶磁器がトップを独走しています。いかに名古屋東北地区の陶磁器業が隆盛を極め、日本の戦後復興にも大きく貢献したかがわかります。
その後、周辺諸国の台頭や円高などの要因によって、日本の輸出向け陶磁器業は衰退し、今ではかつての勢いは失われてしまいました。しかし、ここ名古屋東北地区に輸出向け陶磁器絵付加工業が栄え、その分野の日本の中心地であったことは記憶にとどめておくべきでしょう。それは業界関係者だけでなく、名古屋という地域の誇りと言ってもいいからです。
名古屋陶磁器会館は、その当時の隆盛を伝える貴重な証言者なのです。

▲統制時代(昭和8年〜戦争まで)の検査風景
